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13-8




遠ざかって行く足音を耳にしながら、そっと腕の力を抜いた。やり過ごせたようだ。冷静になって考えれば安室さんがいきなり相手を撃つなんてことはなかったと思うが、どのみち拳銃を持っているところを見られては面倒なことになっていただろう。はぁ、と溜息を吐いてから、私の腕の中……部分的に言うなら胸の谷間あたりに息遣いを感じて、慌ててパッと腕を解く。イケメンにセクハラしてしまった。ややして、安室さんの腕もするりと解かれた。
パーティーに参加していたのだろうか。安室さんは白いシャツにワインレッドのタイとベストを合わせて、その上に黒のタキシードの上下という格好だった。胸元に薔薇は無い。見目麗しいとしか表現しようがない姿に見惚れてしまいそうになるも、薄い唇を引き結んだ彼が私を見つめる視線は剣呑さを孕んでいる。正直怖い。覚えのある雰囲気だ。この瞬間、目の前の男が誰であるのかを悟った。"彼"と会うのは3度目、いや、最初のは実際に会話をしたわけではないので実質2度目か。この男から冷ややかな目を向けられたことはなかったので、今更ながらぞくりとする。
何も喋らない彼に向かって、私は控え目に話しかけた。

「あの……何で安室さんが?」
「……それはこちらの台詞です。何をしてるんですか、あなたは」

怒りとも呆れともつかない声音でそう言った彼に、両方の二の腕をガシッと掴まれる。ラウンジの照明で鈍い輝きを放つブルーの虹彩が、ガラス玉のように私を映していた。吸い込まれそうだ、そう思いながら、視線から逃れるように足元に目を向ける。

「だって……それはダメでしょう?」

カーペットの上に無造作に置かれた拳銃。彼は私から視線を外すと、右手でそれを拾い上げた。いつか見た拳銃と同じだ。伏せた瞼に、小さく吐息が漏れる。掴まれたままの腕に力が篭ったかと思うと、立ち上がる彼に続いて無理矢理立たされた。腕を引かれてラウンジから出る間、彼は口を開かない。その右手には拳銃が握られたまま。どこへ?と聞こうとして、真っ直ぐ前だけを見るその横顔を見れば何も聞けなかった。

連れてこられたのはラウンジからそう離れていない、反対側のエリアの一室だった。スイートでも、そう乱暴に押し込まれたら嬉しくない。部屋に入って明かりをつけるなり、彼はドアを背にして私の退路をしっかりと絶った上で詰め寄ってくる。

「あの状況でよくあんなことができましたね……どう見ても普通じゃないでしょう、僕の姿は」
「え、ええ……」
「このフロアにいたのなら銃声を聞きましたよね?」
「はい……」
「僕が悪い人間で、口封じにあなたを殺すとは思わないんですか?」
「お、思いつきませんでした……」

悪の組織の人にお説教じみた口調で怒られて、私は反応に困った。
確かに今回、彼は"悪い人間"として動いているのだろう。この階の部屋のキーを持っているということが全てを物語っている。鈴木財閥の人間を人質に取らせて何をするつもりだったかは知らないが、邪魔をした私に腹を立てているのだろうか。それにしては、彼の口から出るのは先ほどの行動に対することばかりだ。口封じ、と言ってはいるがあの銃声が彼の仕業だったのかもまず分からない。そしてリーダーの男と落ち合うのが誰だったのかも。
彼の正体を知っていれば、ここで安易に一般人の私を殺すなどということは無いと分かっている。まあ、組織の人間の目があったのならその選択肢も発生するのかもしれないけれど。ひょっとして他にも、組織の人間がここに来ているのだろうか。

ひとしきり私を責めたあと、彼は気を取り直すように溜息を吐いた。手に持っていた銃をジャケットの内側にしまうと、ところで、と呟く。その更に一段下がった声に、私は内心冷や汗を掻いた。

「今日もあの嶋崎という男と一緒だったようですね」

やっぱりそうきたか。パーティーに参加していて、どこかで様子を見ていたようだ。嶋崎さんが身代わりになったのを見て追いかけて来たのだろう。

「まさか鈴木会長の身代わりになるとは思いませんでしたが……僕の今回の仕事はあの男に会うことです。ここに呼び出してください」

そして、はっきりとそう言った。いつも目的が何なのか掴ませない彼が、こうも直接的に物を言ってくるのは珍しい。浮かんでくるのは、倉庫で見つかったという遺体の一件。妙な事が起きているという嶋崎さんの話。彼が組織の人間としてどう関わっているか定かではないが、私がここで言うことを聞くわけにはいかなかった。私の名前を呼ぶ、無邪気な女の子の声が聞こえる。ひとりの人間として、他者を踏みにじるような輩は許せない。目の前の人がかつての自分と同じ、崇高な信念を持って動いているのだとしても。
ゆっくりと左右に頭を振った私に、彼が優しい声で再度問い掛ける。

「なら、スマホをお借りしても?」
「名前で登録してませんので、無駄です」
「……やれやれ、まるで女スパイですね」
「あなたに言われたくありませんけど」

彼の目がスッと細められた。どう切り抜けるべきか逡巡する私を冷たい双眸が射抜く。ドアは彼の背後だ。私の焦りを感じ取ったのか、彼が小さく笑った。嫌な男だ。どこか楽しんでいる風ですらある。
思わず一歩後ろに下がると、それだけ距離を詰めてくる。

「そこ、どいてください。出られないです」
「僕のお願いは聞いていただけないんですね?」
「…………」
「分かりました」

彼は瞼を伏せて、ふぅと息を吐いた。そして通路を塞ぐようにして立っていた体をずらして、壁に凭れかかる。

「…………?」

あっさりどいてくれたので私は戸惑った。その視線は私を見つめたまま。え、出て行っていいの?もしや本当に組織の人間と一緒に来ていて、形式上尋問しないといけなかったとか……?困惑する私を、彼はやはり表情を変えることなく見ている。
私は悩んだ末、「じゃ、じゃあ私はこれで……」と部屋から出て行こうと彼の前を通り過ぎた。瞬間、左手を掴まれる。

「……え、」

一瞬だった。掴まれた手をグイと後ろに引かれて、ヒールの靴だったこともあった私はバランスを崩しよろめいてしまう。すぐに支えるように肩に腕が回されたかと思うと、何がどうなったのか脚がふわりと浮いて、眼前に彼の顔が迫った。思わずぎゅっと両目を閉じる。

「っ……!?」

露出した肌に触れる覚えのある布地の感触。さっき抱き締めた時と同じ匂いだった。妙な浮遊感に驚いてすぐに目を開ける。自分の視線がいつもより高い。

「な、なに?」

いわゆるお姫様抱っこされているのだと気付く頃には、彼の足は部屋の中に向かっていた。待って、そっちじゃない。女ひとりを軽々と抱き上げる腕はびくともしない。驚愕しすぎて大した反応もできない私を、彼は、なんとスイートルームのふかふかのベッドに放り投げた。

「きゃっ!」

ボスッと音を立てて上質なシーツに沈んだ私の足から、パンプスが片方だけ脱げて、床に落ちる音がした。……お姫様抱っこも初めてされたけど、ベッドに放り投げられたのも初めてだ。ひどい。せめて優しく降ろすとかないのか。何だこいつ!軋むスプリングの上で片肘を突いて体勢を直し、まったく表情を変えない男を睨み上げる。

「っ……乱暴!」
「これからもっと乱暴にする予定です」

抑揚のない声が返ってきた。え、怖い。ひたすら怖い。自分の頬が引き攣るのがわかる。足を動かすと、靴を履いているせいか柔らかなベッドの上で逃げ場を封じるかのようにシーツが絡みつく。私を見下ろす彼の目が、見たことのない色を宿していた。すごく、よくない雰囲気だ……。思えば私はこの男のことをあまり知らない。

私が完全に身を起こす前に、ベッドは2人ぶんの重みでギシリと音を立てる。

「さて、少し趣向を変えましょうか……ナナシさん」

無様にも起き上がることのできない私の体を跨いで膝立ちになった男は、取り出した拳銃を私に突き付けて首を傾げた。



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